妖精おじさん日記 11月27日その3版

2023.12.04

お届けする商品に同梱している”日々更新「福太郎通信」”のデジタル版。
1枚の紙に手書きでその時の思いつきを適当に書いています。

このショップや商品のこととはあまり関係のなさそうなことばかり!
でも読んでいただけたらうれしいです!!

今回は11月27日版その3です!

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「15の春、バルセロナ、パエリア、 完」

とうとう3部作になってしまいました(前々回、前回からの続きのお話です)。

旅中は、リヨンで買っためちゃ重いリング式スケッチブックに、相変わらず詩を書いたり
日記を書いたり、アファメーションみたいなことを書いていました(高校に行ったらスケボーするとか、
彼女をつくって楽しく過ごすとか)。

アファメーションについては、自分的には、かなりこしょばい話ですが、
みなさんにはオープンしますよッ!

フランスのどこかで蚤の市に行って、古いマッチ箱を2つ買ったんです。
もう、その使い方をアファメーションというか妄想していて、
「未来の彼女に、付き合ったその日にマッチ箱をひとつ渡す。
そしてお互いを信じられなくなったり、恋愛が危機的状況に陥った時に、
相手に読んでもらいたい手紙を書いて、そのマッチ箱の中に入れておいてもらう。
お互いへの手紙を書いたマッチ箱を交換し、お互いは大事に保管し、
マッチ箱が開くことがないことを祈りながら過ごす」………みたいな!!

これね、実際にやったんです。
まぁ、マッチ箱交換したその日に中身が気になりすぎて開けましたけれどね☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
あー恥ずかし!


まぁ、そんなアファメーションつうか妄想しながら、列車に揺られて
南仏からスペインに入って、すぐの港まちPortBooってところで
宿をとることになって、そこがとても印象的で、すごく覚えているんです。

とてもちいさなまちだと思うのですが、海に沈む夕日を初日に見ました。きれいでした。

ニースとか、たしかに白い砂で、海はきれいだったかもですが、なんか物価高いし、
兄とふたりで海ではしゃぐ気にもなれないし、15歳ながら、観光地やな、と思いました。
でも、このPortBooは子どもの頃よく家族で行った
カニや小魚がいっぱい泳ぐ磯のある三浦海岸みたいですごく落ち着きました。

旅中は、ずっとお湯のシャワーが出ない安宿ばかりでしたが、
PortBooは安宿すらない感じといったらいいか、
多分1、2軒しか宿がなかったんじゃないかな、と思います(30年ほど前のことです)。
こじんまりした暖かい宿に泊まれて、心底安心したのを覚えています。

日が暮れて、近くのレストランで夕ご飯を食べよう、ということになって、
兄も安心したのか、奮発してパエリアを頼んでくれました。
生まれてはじめてパエリアというものを食べたのですが、おいしかった!
そのレストランの雰囲気もすごく良くて。
もしも「もう一度、この旅で行った場所に行くとしたらどこに行く?」と言われたら
間違えなくこのレストラン! そしてこのまち!

さて、3部作にして、ついにパエリアが話に登場してきたところですが、話はもうおしまいに近いです。

このあとバルセロナまで行って、サグラダファミリアとか色々と行ったと思うのですが、
あまり覚えていることがありません。
バルセロナもオリンピック後とかで、すごく人が多かった印象で、物価も高かったのかな?
とにかく疲れて果てていました。
そんなバルセロナの最終日。
明日にはバルセロナから日本へ帰る、というこの旅の最終日でもあります。
その日の夜ごはんの時のことです。

忘れもしない兄はバルセロナで有名な高級パエリア料理屋さんの店先で、ぼくに向かって言いました。

「パエリアを食べて野宿するか、パエリアを食べずにいい宿に泊まるか、どっちがいい?」


ぼくは秒で答えました。

「パエリア!!!」


豪華な店内に裕福そうなお客さんたち、そこに小汚い東洋人の若い男の旅行者ふたり。
でもその頃にぼくはけっこう心が強くなっていました
(旅の最初の頃は、ずっと西洋人に引け目を感じて、ビクビクしていました)。

さらに「俺たちは野宿を決めてまで、パエリアを食べると決めたんだ!」みたいな
変な自信を持っていた気がします。
とにかくおおきな気持ちでその店にいる自分がいました。
(一文ナシになった時の爽快感に似ているのかも!?とふと思ったり)

でも正直そのお店の味はPortBooではじめて食べたパエリアの味には敵いませんでした。
「あぁ、この前食べたパエリアの方がうまい」と思ったのを、よく覚えています。

その後、野宿といっても空港のベンチで運よく眠ることができました。
子どもの頃から場所がかわると眠れないタチなので、
眠らずに、相変わらずリング式スケッチブックにアファメーション(妄想)を描きまくっていました。
(このリング式スケッチブックはずっと大切にとっていて、人生の節目節目で読み返したり、書き足したり
していましたが、東京から岐阜に移るときに、断腸の思いで捨てました。
それくらい岐阜に移る時は、自分なりに覚悟みたいな重いものがあったように思います。
捨てなきゃよかったけれど、実は今もこのリング式スケッチブックみたいな存在のノートを作り続けています)

この旅があったから、その後高校に入ってラグビーを思いっきりできて、脳しんとうしたり、
足のケガもたくさんしたり、けがばかりだったけれど、無我夢中で走り回ることができた。
うっくつ感はすっかり晴れた。(その後の人生でも何度かうっくつ感時代はあるけれど)。

脳波は1年後の検査でも正常に戻らなくて、でも、ラグビーしちゃっているし、
いいや、ってあきらめた。

みれいさんは脳波が異常なところを受け入れてくれているし、まぁいいね!!


これにて!
「15の春、バルセロナ、パエリア」完ッ!!!
思いつきで書くには長すぎたーーーーー!!!
でも一気に書いたーーーーーーーー!!!!!







(完)

※初回刷のものを加筆修正しております



(mmbs 福太郎)