妖精おじさん日記 11月27日その2版

2023.11.29

お届けする商品に同梱している”日々更新「福太郎通信」”のデジタル版。
1枚の紙に手書きでその時の思いつきを適当に書いています。

このショップや商品のこととはあまり関係のなさそうなことばかり!
でも読んでいただけたらうれしいです!!

今回は11月27日版その2です!

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「15の春、バルセロナ、パエリア、 つづき」

前回の続きです。

なぜ、兄と2人でこの旅に出ることになったのか、について。


ぼくはこの旅の半年ほど前に、交通事故で頭がい骨と足首を骨折。
一時はICU(集中治療室)で三途の川の夢を見たり、
事故直後は、うずくまっている自分を
第三者的に冷静に見ているみたいな臨死体験をしたり、大変でした。

その後たたみかけるようにしんどいことが続いて起こり
(今なら「毒だしヤァー」と思えたかもだけれども、当時はかなりヘビーな状態にならざるを得なかった)
脳波も正常に戻らない、
足首も複雑骨折でスポーツはもうできないかもしれない、みたいなことを
お医者さんにいわれて……

「うーん、どう生きていこう」と、
深夜に松葉杖をついて公園へ行き、
カバンには紙とペンと詩集。

あるときは詩集の詩を大声で読みさけび
(ホイットマンやヘッセの詩集など、
日本の詩より海外の詩の方がいけてると思っていた。深刻ぶった軽薄者)

映画『今を生きる』の影響をものすごく受けていて、
いやむしろ生きる拠り所にしていました。
ベッドから動けない時に友人のケントが
「これでも観たら」と『今を生きる』のビデオを持ってきてくれたんです。

あるときはノートに自作の(といってもほぼ受け売りの)詩を書きました。
冬でとにかく寒くて、かじかむ手みたいな、
そういうのに酔っていたんですね……

ミーハーというか
まぁ……青春ですね。

そんな鬱屈しているぼくを見かねて、母が
春休みに南仏からスペイン・バルセロナまで行く一人旅を計画していた
当時大学生だった20歳の兄に、ぼくを一緒に連れていってくれないか、と頼んでくれたのです。

ややこしい書き方をしてしまいましたが、
鬱屈しているぼくを見かねて、弟を一緒に連れて行ってくれ! と頼んだのが母。
まじかよ! といい迷惑だったのが兄です。

大して仲の良くない、年に一言二言話すだけのような仲の弟を、
せっかくの一人旅に連れて行くなんて、
本当に死ぬほどいやだったと思います。
(子どもの頃は兄とよく遊んだのですが、
ぼくが中学生になる頃には、ほぼ交流はなくなりました)

ほんとうにいやだったと思うんですが、
今にして思えば兄も鬱屈している弟を不憫に思ったのかなぁ、
なんて思ってたんですけれど、

つい先日、妻のみれいさんが当時の兄の気持ちを聞き出そうと
「福ちゃんが交通事故したときは、大変でしたね」と聞いたら、
「えっ!? 福ちゃん交通事故しましたっけ!?」って
衝撃的な発言を兄はしましたよ。

完全にぼくが交通事故したこと兄は忘れてまして、
全然思い出せないんですよ。
グラグラしますよね。
地球が人の数だけある証拠のような話です(ちがうか)。

そんなこんなで兄と二人で
フランスのリヨンから、アヴィニョン、アルル、ニース、
ニームと各地を鉄道で回りました
(今、地図をみたらニースだけ地理的に逆方向ですが、
ニースも確かに行ったと思います)。

このとき貧乏旅行だったけれど、たくさん美術館に行きました。
シャガールやマチスの絵をよくわからないままにも、
このときたくさん観れたのは、
ひょっとしたら今、絵本を描いていることにも影響をいただいているかも。

ずっと鉄道移動で、
移動中は南仏の田舎の自然を窓越しにずっと眺めていました。
そのときに人がもう滅多に来ないんだろうな、
というような手付かずの小川を横切ったり、並走したり、
とにかくそんな小川をたくさんみました。
そのたびになんともいえない気持ちになりました。

そのときにハッ! としました。

「すべての人に小川が流れている」
ってわかったんです。

感覚的に窓の外に見える小川が
自分のからだを流れていることを感じてしまった。
目にうつっている小川が自分のからだの中を流れる川と相似だと気づちゃった。

その瞬間、地球と自分が相似だと感覚的にわかったんだと思うんですね。

そう気づいたとき

「あっ俺生きていけるかも!」という感じ、あったんですよ。
今もはっきり覚えていて、すぐあのときあの場所にいけます。

しかも八雲さんの先輩みたいな人がいなくても
ぼくはリヨンの文房具屋さんで
めっちゃデカくて重いリング式のスケッチブックを買っていたんですね。
そこにすかさず
”すべての人のなかに小川が流れている”
って書きとめました。

ただでさえはじめての海外旅行で
余計なものがいっぱい詰まって重いリュックに、
その重いスケッチブックを加えるなんて、
旅人としては失格かな、と思うんですが、
やっぱり当時から文房具がすきで、
特にノートとペンにはこだわっちゃっていました。

そしてほんとうにこのスケッチブックは買ってよかったな、
と全く後悔がないのですが……
(このスケッチブックは、ずっと大切に持っていましたが、
岐阜に引っ越すときに、捨ててしまいました)

後悔があるとしたら、この回ではこのお話が終わらなかったことです



(つづく)








(mmbs 福太郎)